辞書と「格闘」した俳人、金子兜太

 兜太さんによれば、実は最も影響を受けたのは、俳句以上に学生時代に触れた斎藤茂吉の和歌、三好達治や中野重治らのプロレタリア文学だったそうです。

 帝大経済学部生として「マルクス先生」(と2010年代、90代後半になっても兜太さんはそう呼んでおられました)への傾倒と、父親で地元の翼賛組織を指導していた俳人・医師の金子伊昔紅(元春)の右派志向に引き裂かれ、あれこれ考えず南方最前線に志願したこと。

 危うく餓死しかけたトラック島の最前線を生き抜いて復員する船尾から、白い航跡が島に向けて伸びつつ消えて行くのを眺めつつ

(水脈の果炎天の墓碑を置きて去る)

 すべてが堰を切ってごちゃ混ぜになって戦後の作風をもがくように模索されたこと。

 そのとき、実はもっぱら辞書と格闘しながら、初期の代表作

湾曲し火傷し爆心地のマラソン

銀行員等朝より蛍光す烏賊のごとく

 などを苦吟したこと。

「塚本邦雄なんかも、あれは相当辞書を引いておりますな」などと評しておられました。

 私自身、親友の詩人・映画監督フランク・ダイアモンド(Frank Diamond)(1939-)と兜太俳句36句を英語+オランダ語訳の経験があります。

 12日間フランクの家に泊りがけで、辞書との格闘+終日激論で大変でした。

 ユダヤ人というのは面白いもので、仕事で激論しても食卓ではニコニコしている。

(同じ流儀は日本ではあまり通用しないようですが、外交の現場などではこのスイッチングは非常に重要、かつ有効ですね)

 真剣に和歌や俳句、詩文に向き合う人が、歳時記や辞書、事典、逆引きなど含めパラフレーズ「言い換え」の友として常用する例は、ほかにいくつも思い当たります。