データ枯渇と日本の優位性

 一方、私はAIの先端技術に携わる中で、日本人としてAIに対して強いコンプレックスを感じています。

 米国のAI技術の進歩は目覚ましく、日本のAI技術は遅れていると感じています。

 ドラえもんのような、人と共存する幸せな生活を実現するロボットは、日本のお家芸であるはずです。

 もし中国や米国が汎用人型ロボットを開発すれば、軍事利用される可能性が高いというイメージがありますが、日本であれば、平和利用に貢献できるはずです。

 さらに重要なのは、AIの学習に必要なデータが枯渇しつつあるということです。

 しかし、ロボットは入力装置としての役割を果たすことができます。

 IoTデバイスも同様ですが、世の中に存在する限り、日々データが蓄積されていきます。

 もしAI開発の計画が頓挫してしまっても、1か月程度のデータがあれば、様々な分析が可能になります。

 昨日のデータはグーグルやオープンAIが持っていますが、明日のデータは日本のロボットが持つことになるだろうと私は考えています。

 そうなれば、米国との交渉においても有利な立場に立てるはずです。

 私は政治家ではありません。でも、例えばオープンAIやグーグルと連携する際に、「そちらのAIのデータを使わせてもらう代わりに、こちらは今後入力される新しいデータを提供します」という交渉が可能になり、対等な関係を築けるのではないでしょうか。

 私は海外によく行くのですが、日本のように、様々な分野で個別に開発を進めるのではなく、もっと戦略的に取り組むべきだと感じています。

 リアルなデータを取得する装置としては、センサーなども重要ですが、やはり汎用人型ロボットが最も有望です。

 そして、汎用人型ロボットが集めたデータは日本のものですから、それを共有するかどうかは、今後の貿易における重要な切り札になる可能性があります。