
(田村 惠:脚本家)
洋画、邦画を問わず今日まで7000本以上、現在でも年間100〜150本の映画を見ているという、映画を知り尽くしている田村惠氏。誰もが知っている名作映画について、ベテラン脚本家ならではの深読みを紹介する連載です。
ファースト・シーンに何が仕掛けられているか
ある時、脚本家の井手雅人先生が、勉強会の面々にこう問われた。
「『ローマの休日』のファースト・シーンを覚えているか」
それは遙か昔、ぼくが井手先生のもとでシナリオの修業をしていた頃のことである。
『ローマの休日』は、各国を歴訪中のアン王女(オードリー・ヘップバーン)がローマに到着したところから始まる。王女の毎日は決まりきった公務と規則の繰り返しである。ある晩、ついに耐え切れなくなって、お付きの者に不満を訴えるが取り合ってもらえない。とうとう我慢できずにひとり宿舎を抜け出す。数時間後、新聞記者のジョー(グレゴリー・ペック)が路上のベンチで眠っている王女と遭遇する。
ジョーは彼女を放ってもおけず、仕方なく自宅に連れ帰るが、翌朝、新聞の写真でその正体を知るや彼女のお忍びに密着して独占記事を書くことを思いつく。そうとは知らない王女は早速町へ繰り出し、長い髪をばっさりカットしてもらったり、ジェラートを買い食いしたり、ジョーから借りたお金はあっという間に無くなるが、初めての体験が楽しくて仕様がない。一方、友人のカメラマンを呼び出したジョーは偶然を装って王女と再会し、ローマの町を案内しながら隠し撮りの写真を撮りまくる。はたして、ジョーの思惑はうまくいくのか……。
ドラマはそんなふうに展開するが、話を勉強会に戻そう。
この映画の実質的なファースト・シーンは、歓迎のセレモニーでアン王女が招待客を謁見する場面である。その旨を誰かが言うと、井手先生は重ねて問われた。
「そのシーンは何のためにつくられたんだ」
皆がまごついていると、先生は続けてこう言われた。
「あれは王女が退屈しているのを見せるためのシーンなんだ」
そして、こう締め括られた——映画が始まると観客は何を見ればいいのか探し始める。だから創り手はなるべく早くそれを観客に示さなければならない。
『ローマの休日』はオードリー・ヘップバーンという新人女優をいかに魅力的に見せるかという命題に終始した映画である。そのため、彼女が最初に登場するシーンは重要である。そこでのっけから彼女に観客の心を引きつけるために、以下のような場面をつくっている。
きまりきった儀式に退屈した王女は、客へ返す挨拶の言葉も上の空で、ドレスの裾の中では、それが隠れて見えないのをいいことに、窮屈な靴を脱いで足を休めている。ところが急に着席することになって、あろうことか王女は脱いだ靴を履き損なって絨毯の上に残したまま椅子に座り、随伴の大人達を慌てさせる。
ここで強調されているのは王女の可憐さである。また、我々庶民がやりそうなしくじりを王女にやらせることで、観客に親しみと共感を抱かせようという狙いもある。そして、このあとの、王女がお忍びでローマの町へ出て束の間の自由を満喫するシーンを際立たせるためには、この冒頭での退屈が是非とも必要なのである。よく練られた、本当にうまいファースト・シーンだと思う。
この映画を観る度にぼくが感じるのは、監督のウィリアム・ワイラーをはじめとするスタッフ、共演者の、彼らが見出した才能豊かな新人女優に向けた温かい眼差しである。彼女の表情も仕草も、余すところなく観客に見てもらいたい。そんな気持ちが全編に溢れている。
それなればこそ、この映画の人気は今も衰えることはないし、オードリー・ヘップバーンは世界で最も愛される女優であり続けているのだとぼくは思う。