
「なぜこんな人が上司なのか?」と首を傾げてしまうような人の下で働いた経験はないだろうか。その一方、上司は上司で「部下が言うことを聞かない」と嘆いている。なぜ日本の組織はこうもうまく回らないのか。
「それには構造的な理由がある」と語るのは桃野泰徳氏(編集ディレクター・国防ライター)だ。リーダー教育の欠如、組織に根付く属人的評価の弊害、そして挑戦を恐れる文化──。『なぜこんな人が上司なのか』(新潮社)を上梓した桃野氏に、話を聞いた。(聞き手:関瑶子、ライター&ビデオクリエイター)
──「優秀とされる人だけを残しても組織は決して強くならないし、凡人とされる人だけを集めても弱い組織になるわけではない」とありました。
桃野泰徳氏(以下、桃野):私は、人には「優秀」も「凡才」も「無能」もないと思っています。
もしある場所で成果が出せない人がいたとしても、それはその人の責任ではない。置かれた環境との相性が悪かっただけのことです。向いていない仕事で頑張っても、成果なんて出るはずがない。だから私は、向いている場所で力を発揮すればいいと考えています。適材適所の人員配置をすることこそが、リーダーの仕事です。
そもそも優秀か否かという点は比較論に過ぎません。したがって、「優秀な人だけを残す」などという発想はナンセンスです。結局、どんな集団でも相対的に「できる人」と「そうでない人」が出てきてしまう。属人的な評価に頼っている限り、組織は強くなれません。
ディー・エヌ・エー(DeNA)の創業者で代表取締役会長の南場智子さんは「動的平衡」という考えで、あえて優秀な人を外に出すことで組織の均衡を崩し、次の担い手が育つ流れをつくっています。これこそが、組織を強くするやり方です。
──「平成の時代(中略)は、実は組織マネジメントなど誰も理解していない」と書かれていました。なぜ、日本では、組織マネジメントが軽視されるようになったのですか。
桃野:日本は、リスクを取ったり責任を引き受けたりすることに、ほとんどメリットを与えない社会構造になっています。難しいプロジェクトに思い切ってチャレンジしても給料が上がるわけでもない。逆に失敗したときだけは、びっくりするくらい対応が早い。これが日本の組織の特徴であり、問題点だと思います。
管理職の人たちは、部下が挑戦しようとすると、「何かあったらどうするんだ」と真っ先に止めに入る。本来のリーダーの仕事は「何かあったときに責任を取る」ことです。けれども、リスクを取るメリットがない人が上に立ってしまうと、誰も挑戦できなくなる。
チャレンジして成功したら報われるのではなく、リスクだけ背負わされるような環境で、誰がリーダーになりたいと思うでしょうか。そんな社会でリーダーシップ論や組織マネジメントが根付くはずがないと私は思っています。
日本は「成功しなくてもいいから、失敗だけはするな」という空気が強すぎます。これは本当に根深い文化で簡単には変えられない。本気で変えようと思うのであれば、義務教育の段階で「リスクとリターンのバランス」という考え方を教えてほしいと思っています。ただ、現段階ではそのような動きは一切見られません。
もはや今の日本では、リスクを取れる人、つまり能力も人格も資金的な余裕もあるような優れた人たちに、ノブレス・オブリージュ的に責任を引き受けてもらうしかないのかもしれません。属人的に優れたリーダーに頼らなければ、この構造はなかなか変わらないのではないかと感じています。