「五大浮世絵師展―歌麿 写楽 北斎 広重 国芳」展示風景。歌川広重《名所江戸百景 亀戸梅屋敷》安静4年(1857)

(ライター、構成作家:川岸 徹)

喜多川歌麿、東洲斎写楽、葛飾北斎、歌川広重、歌川国芳。美人画、役者絵、風景画など様々な分野で人気を博した五大浮世絵師の代表作を中心に、約140点を紹介する展覧会「五大浮世絵師展―歌麿 写楽 北斎 広重 国芳」が東京・上野の森美術館で開幕した。

浮世絵5大スターが揃い踏み

 上野の森美術館で「五大浮世絵師展」が開幕した。どの絵師をもって“五大”とするかについては意見が割れるところだろうが、本展では喜多川歌麿、東洲斎写楽、葛飾北斎、歌川広重、歌川国芳というラインアップ。いずれの絵師も単独で展覧会が成り立つビッグネームで、海外での人気も高い。得意とした分野や個性もばらけており、バランスがとれたいいセレクトといえるだろう。

 展示は各絵師の作品を部屋ごとにまとめて紹介するオーソドックスな構成。活躍した時代順に、歌麿、写楽、北斎、広重、国芳と作品が並ぶ。展覧会のキャッチコピーは「あなたの推しをさがせ!」。5人の絵師を比較しながら、自分の好みを探っていく時間が楽しい。

蔦重が仕掛けた歌麿と写楽

 まずは、美人画の名手として知られる喜多川歌麿(1753?~1806)。NHKで放映中の大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』の主人公、蔦重こと蔦屋重三郎が才能を見出したことで知られ、蔦重の元から刊行した「美人大首絵」で時代を代表するスター絵師になった。モデルを務めた女性は実に多様。吉原遊女、「ミスお江戸」の美女たち、太夫、街娼、貴婦人、茶屋の看板娘、家庭の婦女……と何でも御座れ。

「五大浮世絵師展―歌麿 写楽 北斎 広重 国芳」展示風景。喜多川歌麿《教訓親の目鑑 俗二云 ばくれん》享和2年(1802)頃

 そんな歌麿の“守備範囲の広さ”を表している一枚が《教訓親の目鑑 俗二云 ばくれん》。画面にはすれっからしを意味する「ばくれん」の女性が描かれている。片手で茹でたカニをわしづかみ。もう片方の手でグラスの酒を勢いよくあおっている。だが、下品な印象や不快感はまったくなし。それどころか、女性から艶やかさや色気を感じてしまう。歌麿は悪女風の女性も得意としたのだ。

 歌麿と同様に、蔦重が見出した絵師が東洲斎写楽(生没年不詳)。写楽は寛政6(1794)年に突如として現れ、大首絵の手法を用いた役者絵で注目を集め、その10か月後に風のように消え去ってしまった。長く“謎の絵師”と呼ばれてきたが、近年の研究では「その正体は能役者の斎藤十郎兵衛である」という説が有力視されている。

「五大浮世絵師展―歌麿 写楽 北斎 広重 国芳」展示風景。東洲斎写楽 《尾上松助の松下造酒之進》寛政6年(1794)

 写楽の持ち味は、リアリズムあふれる描写。たとえば《尾上松助の松下造酒之進》という作品。当時、役者絵はファンが買い求めるブロマイド的な役割を果たしており、実物以上にかっこよく描かれることが一般的であった。だが、本作の尾上松助はまったくかっこよくない。尾上松助ではなく、彼が演じた悲惨な運命を背負ったやつれた浪人そのものだ。

 本職の絵師であれば、業界の常識を踏まえて、役者を美化して描いただろう。だが、絵師が副業であった写楽は、役者に配慮や忖度することなく見たままに描いた。でも、かっこよくないのだから、思ったように売れない。写楽はドイツの著述家ユリウス・クルトに「レンブラント、ベラスケスと並ぶ世界三大肖像画家」と称賛されるほどの実力を持ちながら、長く活躍することはできなかった。