
(立川 談慶:落語家、著述家、筋トレ愛好家)
いやはや、巷間(こうかん)では、フジテレビをはじめ、不倫をした国会議員やプロ野球選手、社長のSNSでの発言が顰蹙(ひんしゅく)を買いその対応に追われる企業などなどが目立ちますな。
特にあれこれ問題をこじらすケースを見つめてみると、浮かび上がってきたことがありました。こじらせるのは、「謝罪」のやり方を失敗しているからではないかと。
実は私、「謝罪」については人一倍の思い入れがあるのです。きっと、謝罪してきた回数では、日本一かもしれません。実に、その回数は1万回以上!
師匠の立川談志に弟子入りしてから、落語界でいう「前座」という付き人期間が9年半、日数にしておおむね3000日。その間、1日数回怒られて謝罪していました。「二つ目」や「真打ち」になってからも、回数こそ減ったものの、怒られ続けたことには変わりはありません。
その謝罪対応の日々で学んだことをまとめたのが、新刊『狂気の気づかい』(東洋経済新報社)です。帯には「慶應大卒、元・東証一部上場企業社員の私が1万回叱られて気づいた『日本人が忘れた美徳』」と書かれました。ひとまず「1万回」としていますが、感覚的には数えられないほどの天文学的回数です。
なぜ、そんなに謝罪しなければならなかったのか。もちろん、私が人一倍ドジだったからです。ですが、“狂気の落語家”=談志の弟子という、特殊な立場に置かれたからでもあります。
談志は私が入門するときの面接で、こう言ってのけました。
「俺は小言でものをいう」
これは「俺は、教育者ではないのだから、アドバイス的に教えたりはしない」という宣言。つまり談志との会話はすべて「小言」から始まることを意味していました。なんでも小言から始まるのなら、弟子としてはすべてにおいて、まずは「謝罪」を接頭語のようにして対応するしかないという状況に置かれたのです。
「小言と謝罪はワンセット」。これが立川流のみならず、強いて言えば落語界の掟(おきて)とも言えるような慣習でもありました。
では、気がつけば「1万回」以上も謝罪してきた経験から導き出される「こじらせない謝罪の極意」とはなにか。
それは…。